新聞に載らない内緒話 Vol.11

一人カウンター

「明日、入院するの…よ、あたし」気だるく、答えている。 「そしたらネ、シャバには出られないのよ、あたし…」 相手が異を唱えたらしい。瞬時の、沈黙。「御願い…電話、しないで。一人になりたいの」「電話、しないでッて。あと2時間で帰るから、電話しないでッ!」スマートフォンを人さし指で叩いて、サッと掃くと彼女は再び背を丸め、食い入るような視線を画面に落とした。忙しく、指を上下右左させる。てっきり深刻な話かと思ったが、佳境に入ったゲームの邪魔をされたくなかったらしい。クリアでもしたか、へヘッと薄笑いを浮かべ、傍らの、グラスの底の、濁った酒をあおって手先に集中し始めるのである。安酒場の、長い一人カウンター。この風景もずいぶん様変わりした。 「バーテンダーとは、夢も希望も失った人間が最後に話し相手として選ぶ人」とは言うが、ここは話し掛けることはもちろん煩わしく、一方疎ましい孤独に耐えるためたどり着く、都会の一隅であったような気がする。 やっぱり一人がよろしい雑草 やっぱり一人はさみしい枯草              種田山頭火

ラワン材の、安手のカウンター上に、厚手のグラスを並べ、たったひとつの肴を頼みに黙々と、延々と呑み続けたのは、かつての話である。携帯電話が普及して、一人カウンターはまるで喫茶店、食堂のようになった。席に着くなり酒を注文し、肴を次々と並べ、ひたすら手中のスマホをまさぐっている。ワンセグでテレビ中継に見入り、唐揚げを口に放り込む。皿からサラダがはみ出し、床に落ちても気が付かない。ニュースを拾い読みし、あてもない相手にメールを送り続ける。
酒場にゆけば月が出る 犬のやうに悲しげに吼えてのむ 酒場にゆけば月が出る 酒にただれて魂もころげ出す           「抒情小曲集」の中「酒場」、室生犀星
こんな風景も今や、望むべくもない。もはや、郷愁であろう。 
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